前衆議院議員新井悦二
前衆議院議員新井悦二からのフォトニュースをメインにお届けするBLOGです。
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兄、首相、選挙活動による三度の覚醒!
私は子供の頃から医者になりたくて、歯科医師として、平成15年に埼玉県議になるまで病院で働いていました。

  細かいことが好きなので歯医者の仕事は好きだったし、患者さんに頼まれるとイヤとは言えず、休みの日も診療したり、その人に合う器具を工夫したりと、我ながらいい医者だったと思います。

なのに県議になったのは、それまで県議だった兄が市長となり、私に白羽の矢がたったからです。私自身、兄の影響もあり政治には興味がありました。ただそれは、県政、特に自分が関係ある医療関連のことなど、自分の意見を評論家のように好き勝手に言っていた程度のもので、政治家である兄は違いました。行政に公の立場で意見を述べ、それをきちんと実現化させてゆく。それを見ていて「人間、評論家じゃいけないんだ、自分の意見を実現させたいなら、政治家にならないとだめなんだ」と思いはじめていましたので選挙の話をお受けすることにしました。

昨年の夏まで2年半、県議として「小児救急医療施設」の設立を県の10ヶ年計画に入れたりと、自分なりに手応えを感じて活動していましたが、郵政解散後の8月13日、突然党本部に呼ばれました。私の地区には造反議員が出ていたもののまさか自分に要請が来るとは夢にも思わず、当時県議の一般質問の準備で忙しく「何だろう? 選挙の手伝いかな」という程度の気持ちで党本部の部屋のドアを開けました。


 小泉首相が出迎えてくれまして、他にも武部幹事長やら、会ったこともない党の偉い方達がずらっと並んでいたのであまりのことにドキドキしていると、首相から前述の「僕と一緒に改革をやろう!」と言葉をかけられました。

とても光栄だったし、目の覚める思いでしたが悩んだ事も事実でした。

 兄も後援会も「男ならやるしかない!」と賛成してくれました。


 埼玉11区はとても範囲が広く、2週間でどこまでできるかが本当に難しい問題でした。でもこうなったら2週間は死にものぐるいで頑張ろう!落選したらしたでしょうがないと気持ちを固めすぐに県議の選挙区以外を次の日から回りはじめました。

 ところが造反議員の方の支持者が多く、挨拶回りをしても玄関払い。水をかけられれて追い払われたことも一度や二度ではありませんでした。

 厳しさを痛感しましたが、とにかく2週間はなにをされても我慢するつもりでしたのであまり落ち込まなかったし、また「そうせざるを得ない」相手の立場も考えられるようになり、選挙期間でずいぶん成長したような気がいたします。
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